癒しを追及するカウンセラー・鈴木孝信の「心が強くなる心理学」

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置き去りにされる喪失体験

      2017/01/25

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つい最近バイクを買い換えました。ずっと夢みてたバイクです。待ち望んだ夢の実現の日が訪れ、喜びに震える…わけでは現実はないようです。バイクを買い換えましたが、それは買い換える羽目になったと言った方が適切です。様々な劣化と摩耗で、いわゆる寿命を迎え、廃車になってしまったのでした。
そのバイクもまた僕の「夢のバイク」でした。その赤いボディと共に、6年間で4万キロ以上駆け抜けました。僕の大脳基底核が、クラッチやブレーキの握り具合、腰や足の保ち方等を深く記憶しており、路上ではいわば僕の身体の一部でしたし、今でもそのように感じます。

新たに迎え入れたGSR400は、白い疾風のように走ります。それは僕を幸福感で満たしてくれます。けれど、この白いボディを見るたびに、廃車になった紅のブルバート400を思い出し、それが誰かの手元で今でも走り続けている訳ではなく、ばらされて部品になってしまったことへの切なさを感じます。けれど、それは6年共に過ごした愛車への気持ちにしては強くはありません。愛車を失った体験は、こんなもののはずではない。けれど新しい同時期に夢を手に入れたことで、失ったことを十分に体験出来なくなっていることを今実感しています。
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こういった話は、思い返してみれば、日常的に誰にでも、頻繁にあることでしょう。長年使った歯ブラシの歯先が広がってきたので買い換える。履きつぶして穴さえ開いてしまった靴を捨て新しい物をルンルン気分で購入する。手間暇かけて作った豚汁が翌日怪しい臭いを放ち始めたのでシンクに流し、次のお味噌汁に愛情を注ぎ始める。究極に短くなるまで使った赤鉛筆をゴミ箱に投げ、新しいものを引き出しから取り出す。5分間共にホッとした時間を過ごした煙草を灰皿にうずめ、新たな煙草に火をつける。長く自分の一部であった髪の毛を美容室で切り新しい髪形に心ときめかす。半年も使っていたビニール傘を強風で瞬時に失い、何もなかったかのようにすぐに量販店で同じ型のものをワンコインで購入する。

程度の差はありますが、こういったことは全て「喪失」であり、それに伴った脳の処理を「喪失体験」と言います。最愛の人との死別が、おそらく最も程度の強い喪失体験となるでしょう。この喪失体験には、否認・怒り・取引・抑うつ等の段階を踏みながら徐々に受容に至る体験が含まれます。

あの妖艶に駆ける真っ赤なブルバードを失うことで、幸運にも日常的な喪失体験を簡単に見逃して「なかったことにしている」ことに気が付きました。慌ただしく時間が流れる現代社会の中では、1つ1つのことに取り残されてはいられません。けれど「なかったことに」なった喪失体験は、脳の中で終わらなかった脳活動のパタンとして刻まれ、終わりが来る日を待つことになるでしょう。ただ「なかったこと」になっているので、思い出されず、触れられず、終わりが来ないまま、その脳自体の終わり(死)を迎えることになることもあると思います。それだけなら良いのですが、事あるごとにその脳活動のパタンは蘇り、理解もされないままただ無駄に心身の興奮や鎮静を起こし、終わらせてもらえないまま、また終わりが来るのを待つことになります。

こういった「なかったこと」がたくさん刻まれている脳と身体は、無意識に消耗し、コントロールしにくく、時に後悔するような言動を勝手に作り出すことになるでしょう。そして余力の失われた脳と身体は、さらに「なかったこと」を作り出していくことでしょう。余力のない脳と身体は、心身の動揺を伴う喪失体験に圧倒され処理しきれず、それを「なかったこと」にせずにはいられなくなるからです。僕は、こういった「なかったこと」になっているもので、今の生活に悪い影響を与えているものを「トラウマ」と呼びます。トラウマは、脳の中で終わりを待っている、処理されていない情報なのです。
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トラウマに向き合い、脳の情報処理を終わらせ「なかったもの」を「もう過去のこと」にしていく、そういったことは誰にでも出来ます。ただそこに安全と安心を脳がしっかりと感じられる空気が流れていればです。そしてそれを提供するのが、僕がこれから先も自らをささげていく心理療法「ブレインスポッティング」だと確信しています。

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