人の自由はあり得るのか
久しぶりに尾崎豊を耳にしました。
♪…この支配からの卒業…♪(卒業より)
子どもが成長し、始めて「支配」を体験する社会が学校となります。
それはたまたま脳波の同期が不安定になる思春期に一番身近にある社会の枠組みが、たまたま学校だから、それが支配される対象になるだけかもしれません。
学校の支配はおおよそ目に見え、感じられ、はっきりしているものです。
校則。勉強。部活。学校での人間関係など。
ただ僕たちは学校を卒業しても「支配」からは卒業できません。
自由に進路の選択ができる中学以降も、職場(会社)の支配があります。
会社に勤めなかったとしても、社会の支配があります。
僕たちは、いったい自由になることは出来るのでしょうか。
僕はいつもそれを考えています。
♪自由っていったい何だい~?♪(scrambling rock`n`rollより)
尾崎豊も同じ問いをしていたのでしょう。
僕はアメリカの生活にも片足の指一本くらい突っ込んでいる生活をしています。アメリカに行くこともあります。
その時は社会の「支配」からは解放されるのですが、まったく十分に解放されていない自分がいることを実感します。
僕たちは生まれてから色々なことを学習して「自分」を作り上げていきます。
作り上げていく際に、色々なルールを取り入れていきます。
その時々で、社会の中から自分の生存に最も重要とされるルールを取り入れていくのでしょう。
だから、そう「内在化」されたものは「自分」であり、その「支配」から離れることは簡単にはできません。
自分から解放されることは簡単ではないのです(きっと尾崎豊も同意見だったのだと思います)。
そうしたら、僕たちは自由になれないのでしょうか。
そもそも自由ってなんなんでしょうか。
僕はその答えを見出していました。
それは人でした。
自分を理解し、気にかけてくれ、支えてくれ、愛情をもって接する人が目の前に存在することです。
そういう人を僕たちはカウンセラーと呼びます。
そして僕は、そういう「人」はカウンセラーに限らないと考えています。
普通の人、心理学を知らないしトレーニングも受けてない普通の人、この人たちが「特別な状況で」目の前に存在してくれることが「内在化」された「支配」から解放させてくれる(自由にならせてくれる)のです。
その特別な状況とは「グループカウンセリング」です。
グループカウンセリングは個人カウンセリングと少なくとも同等の効果があることが分かっていて、一度に複数人の治療を行うので、効率的に非常に優秀な形態となります(クラアントさんも大抵比較的低額で治療を受けられる)。
ただ残念なことに日本ではあまり実践されていないカウンセリング形態のようです。
なので、僕がその先駆けになりたいと考えています。
その始まりとして大きなプロジェクトに着手し始めました。
「The Schopenhauer cure」(当記事の画像)
グループカウンセリングの先駆者であるヤーロム博士のグループカウンセリングをテーマとした、とても面白い「小説」です。
これを翻訳します。
誰でも楽しんで読めるものが作れれば、グループカウンセリングの普及に役立つと思います。
「グループカウンセリング普及」という大きなプロジェクトの開始を宣言します。