癒しを追及するカウンセラー・鈴木孝信の「心が強くなる心理学」

鈴木孝信が贈る、欧米の最先端心理療法に基づいた、読むだけで心が強くなる心理学情報ブログ

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臨床心理学は人に利を作り出しているのか?害を作り出しているのか?

   

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いきなりですが上の写真、あなたにはどう見えますか?
選択肢を出しましょう。

どちらかと言うとポジティブですか?
どちらかと言うとネガティブですか?

見ようによっては、何か不思議な力でつながっており仲間同士(ポジティブ)にも見えますし、または一般的な見方で敵同士(ネガティブ)にも見えます。
物事は見ようによっては、違って感じられるとはよく言うものです。

では、本題にはいります。
科学は発展の途上であり、歴史を見てもその発見が誤りであったことが実証されていく過程を踏んできました。
科学だけでなく、もっと一般的な話をしても、時代によって信じられてきた考えは、それが誤りであると(次の時代にはそぐわない)考えられるようになったという歴史を人間は歩んできました。
それは心理学でも例外ではありません。

https://www.ted.com/talks/kelly_mcgonigal_how_to_make_stress_your_friend?language=ja (ケリーマクゴニガル「ストレスと友達になる方法」TEDトーク)
あの大ヒット作品(スタンフォードの自分を変える教室)を生み出した研究者のストレスに関するプレゼンテーションです(楽しいので是非見てみてください)。
彼女はストレス研究者でありますが、プレゼンは「私は(過ちを犯していたことを)告白しなければいけません」から始まります。どんな告白かというと、今までの彼女の過去10年間のキャリアで、ストレスを「悪者」であり「取り除かれるべきもの」であると人々に洗脳し続けてきたということです。
確かにストレスは(心身の)様々な疾患と関連があると言われており、悪者扱いされてもおかしくないものです。ただ彼女が「それをどう捉えるかかが問題である」と言います。つまり、ストレスを悪いものと捉えている人の方がストレスのリスクを多く受けるということです(詳しくは彼女のプレゼンをご覧ください)。

これは僕にとってはとてもショッキングでした。盲点だったというか、ストレスは悪者であると今まで教育され続け、そしてそれをそのままの形でクライアントさんと共有してきたからです。
ただそれが一番ショッキングであったことではありません。
一番衝撃を受けたのは、こういったことはもしかしたら心理臨床学(あるいは精神医学/はたまたは他の自然科学における分野においても多少は)ではたくさんあるのではないか、という自分の中から出てきた考えです。

心理療法の効果研究では、今でも議論が続いている(何が本当に効果のある要因なのか?)にも決着がついていませんが、その議論の片側は(contextual model)「治療関係」であり「治療の枠組み」であり「治療による悩み事と解決法のメカニズムに関する理解」であり、そして「解決のための儀式的な行動」が心理療法による効果の要因であると述べています。仮にこれが正しかったとすると、心理療法において、クライアントさんは心理療法の理論に基づいた疾患の説明(例えばうつ病は抑圧した怒りであるだとか)とそれを解決する方法(怒りを発散しましょう)を受け、それを実践していくことは役立つことです(それが真に正しかったとしても正しくなかったとしても)。だから心理療法の中で語られる情報(それが正しくても正しくなくても)は治療の筋道を立ててくれるようであれば役立つものだとは思います。ストレスに関しても同様で、現在クライアントさんが体験している諸症状の原因をストレスと定義づけて、そのストレスを緩和する方法を説明して実践するのであれば、ストレスも悪者のままでも良いのかもしれません。

しかし、僕は心理療法または精神医療で語られる情報が逆に害を与えていることもあるのでは、とも考えなくもありません。上記のストレスもそうだし、顕著なのが「パニック障害」です。パニックについて教育すればするほど問題が拡大していってしまうことは、専門家なら誰でも目の当たりにしたことがある現象だと思います。また特定の問題に意識づけられることで、よりその問題について敏感になり、抜け出せなくなることもしばしばです。慢性的な問題は大方この要素が絡んでいるように思えます。その問題についてカウンセリングで真剣に話し合い、重大であると思って色々と試すことで(改善すればよいのだけれど)問題への敏感さが増し問題に関してより反応するようになり、それもあって問題が悪化し慢性化していく、という流れです。それなら、それについてあえて何もせずにエネルギーの向けどころを自分の人生に向け「知らないうちに気にならなくなっていた」を待つ(自然治癒)ことも有意義であるかもしれません。

現代心理学の伝統は、自然科学(哲学で言う経験主義)が根本にあります。精神医学も例外ではなく、原因を特定しそれを排除するという考え方が根っこにあります。要因が確実に特定できる分野でしたらそれはとても有効です。現代臨床心理学も大方この伝統に沿っていますが、心理に物証を見つけた例はありません。つまり、例えば「うつ病は抑圧された怒りである」という考えは、そこに確かな根拠はありません(他の理論に至っても同様です)。こういった「確かでない原因」を取り除くことには意義はあります(上記の通り)。一方で、それがリスクを冒すという認識も持つ必要はあると思います(上記の通り)。

色々思いを述べましたが、最初の写真に戻って締めくくりたいと思います。
きっとどう見えるか? という受動的な問い自体が別の捉え方をした方が良いのかもしれません。
「どう見えるか」ではなく能動的に「どう見たいか」という問いの方が有意義な問いのように思えます。
そして(上記を踏まえると)きっと都合が良い(役立つ)ように見るのが適切なのではと少なくとも僕には思えます。
自分が弱っている時には「トラは女性を労わりの心を以て寄り添っている」と見ようとする。
調子に乗ってはめを外しそうな時には「トラは人生の教育を教えようと女性に警告している」と見ようとする。

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