癒しを追及するカウンセラー・鈴木孝信の「心が強くなる心理学」

鈴木孝信が贈る、欧米の最先端心理療法に基づいた、読むだけで心が強くなる心理学情報ブログ

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東日本大震災の心のケア その1

   

石巻市の様子

震災後の石巻市の様子

2011年3月11日、東北地方太平洋沖に大きな地震が起きました。それに伴い津波、また余震が起き、大規模な災害となりました。東日本大震災です。当時を振り返って「現地で見た」記憶を再現していきたいと思います。

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2011年6月
地震及び津波発生から3ヶ月。直後から無料電話相談を始め、4月に福島で心の援助を行い、原発被害から逃れて来られている方たち、また地元の方の苦労に耳を傾けた。ストレスケアのビデオを作り、また被災者の方に役立つポスターを作成。それでも地震のニュースを見るたびに、自分には何もできない、という無力感に駆られる毎日だった。

2011年6月28日
居ても立ってもいられない焦燥感から、独自に宮城県石巻市のボランティア情報を調べ上げ、心のケアを実施する目的で、単身バイクで石巻市へ。

早朝出発し、石巻市湊町に付いたのは午後6時。やや暗がりが世界を包み込みはじめていた時だ。石巻駅付近に展開するアーケード街は、ストリートビューで見られなかった姿が目に飛び込んできた。そこには延べ100軒はあるだろう、商店という商店がシャッターを下ろしていた。多分8割方は固くシャッターを閉ざし、張り紙を張っていた。「ボランティアのみなさん、ありがとう」というシャッターの上の張り紙も目についた。

そして商店街を1歩離れると、信号に火が灯っていなかった。橋を渡ると、その先は瞬時に悲しさが湧き上がるような残酷な町並みがそこにあった。街灯が斜めになっているのがマシに思える道の両側の家々の破損。壁のヒビは当たり前。多くが崩れていた。家だけでなく営業している商店や工場が一切なくてもおかしくないほど、どの建物も壊れていた。戦地。僕のイメージではそうとしか捉えられない。町全体が塩くさかった。

2011年6月29日
おびただしい数のハエが肌に触れる感覚で目が覚めた。

海産物工場が多数あった湊町では、時期的なこともあり、また腐敗した魚が格好の繁殖の糧になったのだろう、どこでも大量にハエが飛び交っている。起きるとすぐに気づくのが、匂い。未だに道路には塩が残っているような塩の香りがほんのりとするのは良いのだが、魚介類が腐敗したためのアンモニア臭がこちらも、きつく漂っている。きっと町中がこの異様な臭いに包まれているのだろう。避難所回りのためのチラシコピー、避難所回り、カウンセリングルームの大掃除、そして日帰りボランティアの美容師の活動の手伝い、という「1日では終わらない」仕事量には嬉しさも感じた。

ヘアカットに訪れた地元の方の血圧を測り、身体の症状の話をし、必要であればTFT療法を行った。血圧は実際に下がる。「こういうことは近所の人たちには気を使って言えないんだけどね…」と地元の人たちは本音を語る。東北の人たちは我慢強く愚痴を言わない、という通説はあくまでも一般化されたものだと知る。そのうちどこから聞きつけたのか、血圧測定だけを希望される方も数人現れた。そういう方を含めて10人程の被災者の声を聞くことが出来た。

それと平行してカウンセリングルームの清掃。そのアパートの一室は、津波で部屋の4分の3の高さまで浸水した後が残っており、フローリングの床には未だ土がこびりついていた。

またカウンセリングを実施するという趣旨のチラシを持って湊中学校を訪れた。教室の壁には生徒全員の名前が書き出されていた。名前の隣の欄に居場所を示すだろう場所が書かれていた。湊小学校。湊中学校。ヨークベニマル。…。○が付いている子もいる。○に→矢印で場所名がある。居場所なのだろうと思った。一方で印が何も付いていない子もいる。その子の氏名は青ペンで四角く囲ってある。亡くなった子たち。クラスに少なくても1名、多いと6から7人。重いものが腹にこみ上げてきた。

その後に湊小学校。湊中学校はより津波の影響を受け、3階4階のみが避難場所として用意されていたが、小学校は2階から解放されており、当時200人近い方たちが避難生活を送っているようだ。校庭にはボランティアチームが入り「希望の湯」というお風呂を運営している。

その後、津波の後から家に引きこもっている方のお宅を訪れた。津波の被害で1階が住めなくなった自宅にお邪魔した。血圧を測定後、口数の少ないその年配の男性の手を取り、TFT療法を行った。血圧は若干の改善程度だったが、僕は心を込めて、少しでも想いを口にしていくことが役立つと話した。トラウマが改善したのかは分からないが、TFT最中に目に涙をほんのりためていらしたのを僕はしっかりと見届けた。また「肩こりが酷い」という地域の方を、未完成なカウンセリングルームに招き、話を伺った。、TFT療法を一緒にやってもらった。肩こりの程度は和らいだ、とのことだった。

その晩、滞在場の向かいの奥さんから電話の相談があった。グループホームの仕事上のことで、気質性妄想のある入居者の対応に困っていると。ほとほと困り果てていたらしい。その晩ごろからか、腕に「発疹」が現れ始めた。僕のお決まりのストレス反応で、とても痒くなるし、ひどくなる中にうみがたまり始末が悪い。また寝場所は透き通ったガラス窓がいくつかある、和室の部屋。ハエと臭いが気になるのと同時に、やや妄想的な「誰かに見られている」「亡くなられた方たちの霊がでる」「状況を利用した強盗団が襲ってくる」などという考えも生まれだした。

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